「ベーゼンドルファー」というピアノをご存じですか?
ウィーンのピアノで、多くの演奏家や作曲家に愛されています。
ウィーンと言えば、言わずもがな音楽の都。
中世より音楽が発展してきたウィーンでは、1770年頃より小規模なピアノ制作が始まり、1825年には既に市内に148のピアノ工房がありました。
そんなピアノ天国のウィーンで1828年、イグナツ・ベーゼンドルファーが創業したのが、今世界中で愛されている「ベーゼンドルファー」なのです。
前述したように、この時代には100を超えるピアノ工房がウィーンにはあったのに、現在はベーゼンドルファーのみ。
なぜ、他のピアノ工房はつぶれてしまったのにベーゼンドルファーだけが残ったのか、というところも含め、その歴史をお話しさせていただきたいと思います。
1859年創業者のイグナツ・ベーゼンドルファー亡き後は、息子のルートヴィヒ・ベーゼンドルファーがわずか24歳でピアノ工房を継ぎます。
ルートヴィヒは著名な音楽家たちと交流を深め、ピアニストや作曲家のリクエストを聞き、それに応える形でピアノを作ったので大好評でした。
特に、フランツ・リストからの要望は大変多く、また力強い彼の演奏では1回のリサイタルでピアノが壊れてしまうとも言われていたのですが、音やタッチに対する要望にも応え、かつピアノの丈夫さという意味でもリストの演奏に耐え得る唯一のピアノがベーゼンドルファーのものだったと言われています。
1869年には限定モデル「エンペラー」が、なんと日本の開国記念として明治天皇に寄贈されています。
ちなみに、この「エンペラー」のレプリカモデルが2006年に限定3台で製造され、あっという間に完売したのだとか。
また、ベーゼンドルファーはピアノの製法や音色に関しては伝統を重んじる一方で、新しい試みも取り入れていきました。
「ヴィエニーズ(ウィーン)アクション」と呼ばれるはね上げ式のハンマーアクションでは演奏できる曲が限られ、演奏家や作曲家のニーズに応えられなくなってくると、イギリス式の突き上げ式アクションを取り入れるなどの柔軟な姿勢も見せています。
この柔軟さこそが、ベーゼンドルファーが現在唯一無二のウィーンのピアノ工房として残っている最大の理由なのです。
100以上あった他のピアノ工房は、ウィーンの伝統を大切にするあまり頑なにヴィエニーズ・アクションを使い続けたため、需要がなくなってしまったのです。
その後もベーゼンドルファーは作曲家の要望に応えて92鍵盤・97鍵盤のピアノを作ったり(通常のピアノは88鍵盤)、近年では自動車メーカーのアウディやポルシェとコラボレーションした斬新なモデルおんものも作っています。
2008年には日本のヤマハに吸収合併され、ヤマハの最新の電子ピアノにベーゼンドルファーの音源が入るなど、新しい形で人々に浸透しています。
ピアノが上達し弾ける様になる為に一番大切な事は心から弾きたい曲を弾くことだと思います。