笑いはテレビを見ている限りは笑えたことはこれまで無かったものです。起伏が少ない性格からか、つまらない感が基底にあったからかはよくわかりません。
ルイ・ド・フュネス主演の映画が面白かったかどうかというと外国と日本では文化が違い微妙に理解し難い面があったかも知れません。
1990年代に登場したレスリー・ニールセンのシリーズものはパロディを取り入れるという意味でその笑いは伝わってきました。
笑いに言葉は必要ないという意味ではチャップリンの映画は教科書のようなものです。知人の見たものでオースチンパワーが面白かったとする意見もありましたが自分は見ていないのでそれが流行ったのかどうかは何とも言えません。
最近動画共有サイトで国内もののお笑いを見てこれまでに無かった笑いを感じたものです。まず表情はそう変化させるわけではないのに、声はインパクトがある大きな声でしゃべるので耳にストレートに入ってくるというところが惹きつけられる元になっているようです。そして小手先のシャレやばかげたことを口に出すのではなくてストーリーを重視していた点は他のものよりも目を離さずに見ることになりました。
中にはつまらない主観的なことを口に出したり、受け狙いでもってしゃべり、それでチャンネルを変えてしまうということは過去に多くありました。
しかしそういうことがほとんどなかった今までに無いスタイルを取っていました。多くのネタを見てもそんなに笑いの水準が違うということはなく安定していたのも特徴となっていました。そしてもし話しの内容を英語に訳したとしても普遍性を持っていて外国人にも伝わるのではないかというぐらいに話の筋が通っていたと感じたものです。
他のグループでは似通ったものが登場したとしてもあのグループの別バージョンと取らずに全くの初登場と感じられているようなのですが、これが不思議で流行になったりすることがあります。
長く噛むような言葉を終わりまでしゃべくり続けるグループがあるかと思えば、そんなの関係ないとかフォーとかの短い言葉だけが記憶に残る芸人などあってあれは後から思うと何をしゃべっていたのか思い出せないものです。
もっと研究者と実務者が無関係ではなく、積極的に関与して良いところは反映させるということが笑いに限らず全ての分野に言えることではないのかという気がするものです。
漫才などは台本作家という人がいてセリフを覚えるような形で進めていたものですが、最近は各自にネタを作ってそれで進めている感じもしますが、笑いの原理のような法則を発見してこれに従うともっと安定したものになるとは思われます。それには面白いものをいったん分析してみてその原理をつかむことが大事だと感じます。感謝されながら稼ぎるつけるビジネスをつくり、ビジネスの価値提供の楽しさや魅力を知りたいですか?
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