佐賀県神埼市に日本の近代医学に大変大きな貢献を果たした近代医学の父と呼ばれている「伊東玄朴(1801~1871年)の旧邸」があり、玄朴が20歳の時に建てた藁ぶき屋根の邸宅は、佐賀県の史跡に指定されています。
伊藤玄朴は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍したオランダ医学医師で、江戸幕府の医官で、江戸幕府邸の奥に住んでいた将軍や将軍の家族を診察し、江戸では漢方医も開業していました。
玄朴は最初、故郷長崎の家の隣に住んでいた漢方医に師事し、玄朴自身も漢方医として自宅で開業していましたが、さらに医学を学びたいという思いから江戸時代末期、長崎にあるドイツ人医師シーボルトの塾で西洋医学(オランダ医学)を学び、大変優秀な成績を収め、天然痘を予防するために種痘を導入しました。
天然痘は当時、大変恐れられていた病気で、二人に一人は死亡するという、時には国を上げて民族が滅びるともいわれていました。
伊藤玄朴は、貧農の出身にかかわらず、将軍の待医にまでなっており、実際、名誉とともにオランダ医学の頂点に立った人物でもあります。
旧邸内には、伊藤玄朴が日本語に訳したオランダ医学書や当時、開かれていた江戸の蘭学塾のパネルなどが展示されています。
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