記事の目次
《女性教師「文玲(wén líng)」との出会い》
新製品の生産化を支援するために、台湾中部にある合弁会社へ出向いていた時の出来事です。近くには高校があり、担任の先生が就職を控えた生徒を連れてよく会社訪問に来ていました。
春に、会社の恒例の慰安旅行があり参加しました。旅行には、生徒を引率していた女性の先生も見え、観光バスの座席が隣同士になったことから彼女「文玲(wén líng)」と知り合いました。
それからは、休日には一緒に食事をしたり、遊びに出かけたりするようになりました。或る夜、寝ようとしているとドアをノックする音、「だれ?」尋ねると「わたし」文玲の声でした。
ドアを開けると、彼女が立っていました。ちょっと恥ずかしそうな顔をして「会いたくてきちゃった・・・」、そんな彼女をそっと抱き寄せました。
《高2の夏の初体験、今度は汗でびっしょり!》
高校は寮生活でした。宿舎は私が入っている男子寮と女子寮、そして共用「食堂・風呂場(時間で入れ替え制)・洗濯場」の建物の3棟が同じ敷地内にありました。
1年が過ぎた高2の春、朝登校途中に1人の女子生徒から1冊のノートを手渡されました。そこには私への思いが綴られており、交換日記をしてほしいと書いてありました。
こうして、2人の交換日記が始まりました。知り合った私たちは、夏の日曜日川遊びへ出かけました。夢中になって魚を追っかけていると、急に大粒の雨が降ってきました。
近くにバンガローを見つけ、急いで駆け込みました。今は使われていない様子、誰もいませんでした。私たちは、ずぶ濡れのTシャツとパンツを脱いで乾かすことにしました。
互いを見合った2人の気持ちは抑えられませんでした。高2の夏の初体験、今度は汗でびっしょり! 気が付くと、窓の外は夏の太陽が輝いていました。
《「進、内緒だよ!」翌朝、彼女はベッドで言いました。》
神戸の大学へ進学することになりました。福岡に実家のある私(高林進)は、建設資材を取り扱っている父の会社の知り合いの家に下宿することになりました。
そこは、ご夫婦と来春大学受験を控えた娘さんの3人暮らし。私は、彼女(山川静)の家庭教師をすることになりました。静の中では、いつの間にか私は恋人になっていた様でした。
その日は、ご両親が用事があって泊りがけで出かけられました。夕食は静が用意してくれました。食事の時、「進、分からない事があるから後で行くね」静かが言いました。
部屋でくつろいでいると、ネグリジェに着替えた静が入ってきました。その夜、私たちはベッドを共にしました。「進、内緒だよ!」翌朝、彼女はベッドで言いました。
《それから2年後、私たちは結婚しました。》
工学部を卒業した私は、その春、某会社に就職。職場は新製品を開発する研究所、一角には何時でも誰もが自由に利用できる自販機の置かれたホットコーナーがありました。
私が休んでいると、いつも或る女性が友達と隣のテーブルに来ました。その日は彼女は1人でした。思い切って「仕事が終わったらドライブしませんか」声をかけると、彼女は同意してくれました。
仕事が終わった後彼女と待ち合わせ、1時間ほど車を走らせてスカイラインをドライブ。展望台は初秋の風が心地よく、眼下に広がる街の明かりも奇麗でした。
彼女は自宅通勤、私はアパート暮らし。彼女の家は厳格な家庭でしたが、夜通っていた洋裁学校を隠れ蓑に毎日アパートで彼女とひと時を過ごしました。それから2年後、私たちは結婚しました。
《彼女にとっても、ひと時の遊びだったのです。》
横浜の商事会社に勤めて15年目、好景気の中、事業が全国展開されました。私は、開設された仙台支店の責任者として3年間単身赴任することになりました。
支店は、駅前の通りにありました。周りには沢山のマンションがありましたが、仕事の後は静かに過ごしたいと思い、町外れのマンションを借りました。
マンションの近くにはこじんまりした和食の店があり、夜はそこでお酒を飲みながら食事をするのが日課でした。そこで知り合ったのが、女子大生の麗子です。
彼女はアパートで1人暮らし、夜は和食の店でバイトをしていました。店は水曜休み、休みの日の夜は一緒に食事をし、その後はマンションで麗子も寝泊りするようになりました。
付き合って1年半、卒業した彼女は福島の会社に就職が決まり仙台を出て行きました。彼女にとっても、ひと時の遊びだったのです。その後、彼女と会うことはありませんでした。
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